かけふ日記

70代ゲイが世界の片隅で吠える

日曜日

 今日は、三浦しをん著の「舟を編む」を読み終えました。

半年前に読み始め、その時は面白く感じなかったので途中からほったらかしにしていました。

その本を一昨日から再度、途中から読み始め、読み終えました。

そして、最初から途中までを再度、読み返し、読み終えました。

小説の後半では、読みながら泣いてしまいました。

最近は気弱になったというか、涙腺が弱くなったというか、直ぐに泣いてしまいます。

 

舟を編む」の筋は、出版社で国語辞典を出版する話で、それにたずさわる人達が辞典作成に奮闘し情熱を注ぐ話でした。

 

 その中に、面白い部分があったので書き出します。(私の言葉で)

辞書の「愛」の項目について、出版責任者のMが何の疑問を抱かなかったことに対して、女性社員Kが疑問を呈します。

 

 「愛」の元の語の訳は(辞書に載せようと思っていた最初の語訳は)・・・

①かけがえのないものとして、対象を大切にいつくしむ気持ち

例として・・・愛妻。愛人。愛猫。

②異性を慕う気持ち。 性欲を伴うこともある。 恋。

 

 以上の語訳で、皆さんはどう思いますか?

Kが言うには、愛妻と愛人を併記すると、「かけがいのないもの」との語訳と矛盾をすると、いうこと。

そして、人間への愛と猫への愛が同列なのはおかしい、ということ。

  ②に関しては・・・どうして異性と限定をするのか? 同性愛の人はどうなるのか?

同性愛の人達が性欲を伴いつつ相手を慕う、大切に思う気持ちは愛ではないのか? と。

それに対してMは、「そこまで細かく目配りする必要があるのか?」と異議を唱えます。

そこで、Kが反論をします。

「多数派におもねり、旧弊な思考や感覚のままでは、移ろいながらも揺るがぬ言葉の根本の意味を見失ってしまう」と。

 

成る程ねーと、私は納得をしました。

 

 今日の大阪は天気が良かったですが蒸し暑くもなくしのぎやすい一日でした。

ゴーヤは、6㎝くらいの実が2つ生っています。

でも、実がぶら下がっている蔓が細くて、干からびたような感じなので、大丈夫かなと心配をしています。

茄子はまだ実を付けてはいません。 花は幾つも咲いたというのにです。

ゴーヤと茄子で私は毎日、一喜一憂しています。

 

 テレビで放映された今日の世界陸上については、特に書くことはないです。

新聞にも特筆すべき記事もなかったです。

 

 今日は自分なりに充実した一日でした。

明日も、悔いの残らない楽しい一日になりますように。