私は物心がつく前から何となく感じていました、生きづらさを。
この「生きづらさ」を他人にどう説明をして良いか判らないけれど、兎にも角にも生きづらい感じです。 なんででしょう?
ほん幼いころから他人と交わるのが苦手で、独りぼっちが好きだったような感じです。
一人で本を読んだりするのが好きで、友達を欲しいと思ったことは1度もなかったです、ある時期までは。
でも、年が行くにつれて人恋しい気持ちがつのって来ました。
そして又、生きづらさを感じるようになりました。
最近、つくづく感じることは、私は身内というか、家族というかに対する気持ち(愛情)が他人と比べて希薄なのではないかと思い始めています。
早く言えば薄情、なのではと。
それを感じるようになった切っ掛けは、養女として我が家に来た姉のことからです。
戸籍上は母の妹で、今は私の姉のことです。
私が仕事を辞めて市営住宅に越して来てから、姉は私のことを気遣って電話をくれたり、「どこかに行こう?」と声をかけてくれたりするのですが、それまでは本当に没交渉でした。
冠婚葬祭や法事で会うくらいでした。
姉が我が家に来たのは小学6年の時、そして20才前に結婚をして家を出たので姉との一緒の生活は10年弱です。
私は全く気が付かなかったのですが私は姉がいかなる性格の人か全く知らないまま、今まで来たようです。
最近、姉の言葉遣いから、姉ってきつい人だな、そして負けず嫌いだなと、思うようになりました。
その姉は40才の時、2度目の男と離婚をして今は一人。
姉の子供は息子が2人。 上はバツイチで独り身、下は妻子持ち。
そんな姉と今は、どのように触れ合えば良いか、ちょっと迷っています。
なまじっか親戚がいるよりは天涯孤独の方が生きやすいのでは、なんて思ったりもしています。
そうです、結論を言えば、もし死んだら私は、引き取り手のいない無縁仏で良いのです。
何で今日の日記がこんな話になったかというと、今、読んでいる小説のせいです。
大学を出てゲーム作成の会社を起業した女性の人生が話のメインです。
人間味あふれる女社長のもと、会社は繁栄しましたが色々あって会社が倒産。
女性は一人でアパートを借り、ホームページの作成で生計を立てていました。
でも死後、みんなに迷惑を掛けまいと55才で自死をしてしまう話でした。
考えさせられる話の筋でした。
今日も、投稿、ありがとうございました。
ふるさとさん、私は思っています、「金は天下の回りもの」と。
そして、「山より大きな獅子は出ない」、「この世のことは、この世で片が付く」と。
だから、どんなことがあっても死んだらあかん、と私は思っています。
そして、消えたお金に関しては授業料を払ったと思ったら納得です。
ワクチン接種、副反応がなくて良かったですね。
ようさん、「忘己利他」ですか、良い言葉ですね。
でも、良いことをした後で「もう懲りた」は絶対、ないと思います。
ただ、私が思うことは、「見返りを期待しない」ことです。
感謝の言葉がなくても、自分の心が満たされただけでも満足。
そして、そういう機会を与えてくれた相手に感謝です。
ただただ、ビックリなのは、必要としたお金、200万円ジャストが当たったということです。 それも別枠の特別賞として。
多分、神様は全部、お見通しなのだなと、私は納得しました。
今日も外は暗くなってきました。
明日も、素晴らしい朝が来て、みんなの笑顔があふれる一日になりますように。