かけふ日記

70代ゲイが世界の片隅で吠える

死んだ後は   土曜日

 4年前、私は住之江区に越して来た時、姉には連絡をしましたが、兄(故人)の嫁(義姉)及びその家族には連絡をしませんでした。

姉にさえ連絡をしておけば兄嫁の所には姉から連絡が行くだろうと思ったからです。

 

 話は変わりますが、私の父親は和歌山県東牟婁郡の出身で、我が家の先祖の墓は代々、和歌山にありました。

もう、和歌山には私達一族が帰ることもないし、墓参りにも不便なので大阪の摂津市に新しい墓を作り、会ったことのない祖父母の遺骨を移しました。

 その墓に、父、兄(長男)、母の順で入りました。

そして将来、兄の家族が順繰りに入って行くことでしょう。

 

 私は訳あって独身で、これから先も独身です。

周りの人達からは気ままな一人暮らし、家族を養うという責任もなく、のんべんだらりと生きて来た独身貴族と思われても、当たらずとも遠からずの人生を私は生きて来ました。

 兄は小学6年の娘をかしらに4人の子供を残して突然、心筋梗塞で亡くなりました。

兄の死後、義姉が兄の死亡保険金と、遺族年金と、仕出し屋で働くことによって子供を一人前に育て上げました。

 

 義姉(兄嫁で、私より年下)にとって私は小姑。

義姉は私のことをどう思って来たのでしょう。

今から思えば、兄が生きている間から今までずっと、やっかいな小姑でしかなかったかもしれません。

 

 以上のようなことを考えて、我が家の墓は兄の家族が仲良く入って、私は入らない方が良いのではないかと思うようになりました。

実は、この考えの上に立って、あえて、引っ越しの連絡をしなかった、というのも私の考えるところでもありました。

 

 今まで書いてきたことは誰にも話したことはありません。

今回、「久しぶりに皆(義姉家族も含めて)で会おうか?」という姉の音頭取り。

私はOKをし、11月9日に会うことになりました。

 

 というような訳で、兄の墓に入らないことを前提に終活をしたいのです。

そして、人付き合いが悪かった私の死で、親戚の手をわずらわせたくないのです。

私の考え、おかしいでしょうか?

 

 戦争や病気で、やむなく多くの人達が亡くなっています。

今、生かされていることに私は感謝しなくてはいけません。

私には何も出来ないけれど、感謝の気持ちと、皆さんに幸多かれと祈り続けたいです。

 

 今日一日、何をしたか?

今日は買い物には行かなかったので家にずっといました。

午後4時19分、Aちゃんから電話。 

「柿をもらったのでこれから持って行くは」と電話、団地の1階から。

それから6時過ぎまで2人でペチャクチャ喋り、Aちゃんは帰って行きました。

わざわざ、柿を5個、持って来てくれました。

本当に感謝です。

 

写真は、ずいぶん前に買って来た豆苗を1回、2回と刈り取って食べ、刈り取った後の写真です。

         

1回目に刈り取った後、豆苗はパックに入れ替えてベランダに置き、パックの水を一日1回、入れ替えていました。

 

 2枚目の写真は再、再度、成長した豆苗の写真です。

そろそろ、3回目の刈り取りです。

         

 

 刈り取った豆苗は生でサラダとして食べても、お浸しにしても美味しいです。

100円もしない豆苗ですが、育てる喜びと、最低3回は食べれるので食卓の一品としては最高です。

皆さんも一回、お試し下さい。

 

 今日もコメント、ありがとうございました。

みなさんのコメントに、何と答えて良いか私は思案中です。

 

 テレビを見ていると、あちらこちらから紅葉と、高原の波打つすすきの便り。

秋ですね。

明日も、こころが晴れる素晴らしい一日になりますように。