昨夜は寒いし、することもなかったので9時半にはもう、布団の中に入りました。
テレビを消して、L E D の照明も落として、目を閉じました。
時間はいっぱいあるし、あわてて寝る必要もないしで、何も考えず、凄く心豊かな気持ちにひたっていました。
そして直ぐに、眠りに落ちました。
そして、夜中に何回かトイレに行きましたが、朝の5時20分ごろに目覚まし時計が、「起きろ、起きろ」と小さな音を発したので目が覚めました。
充分には寝足りた気はしなかったのですが、寝過ぎて背中が痛かったので起きることにしました。
こうして、私の一日は始まりました。
図書館で借りて来た本を返しに行きたかったのですが今日は図書館が休みなので無理。
そこで、雨が止んでいる間にと業務スーパーに行き一旦、家に帰り、今度はライフに行って来ました。
小雨が降っていたのは朝のみで、後は一日中、曇天でした。
今日の朝刊の「読売俳壇」で、選者正木ゆう子氏が選ばれた面白い句がありました。
右側の腎臓で聞く除夜の鐘 八幡市 会田重太郎
[評] 元気な時には内臓を意識しない。 恙(つつが)あって初めて内臓の在処(ありか)を意識し、身体とコミュニケーションが出来るようになる。 今や右の腎臓のことまでわかる作者。 すごい。
恙(つつが)の意味・・・・病気などの災難
2個ある腎臓の中、左側の腎臓は取ったけれど無事に除夜の鐘を聞くことが出来、一年を生き延びることが出来たいう句なのでしょうね。
病気をしたからこそ判る健康であることの有難さ、です。
良く、座禅とか、瞑想とか言うけれど、目をつむったら自分の身体ってガスのような物で出来ているような気がしません?
心の目で見るというか、俯瞰(ふかん)して自分の身体を見たら、です。
目をつむって自分を見たら、自分の身体がシルエットとして存在する気がします。
例えば私が今、目を閉じたら目の前にあるパソコンは消えてなくなります。
でも、自分の身体は依然としてガス状態で(物質としてではなく)存在をしていることが確認できる気がします。
目をつむって自分の臍を迷わずに指で押すことが出来ます。
右の眉毛も目をつむった状態で押さえることが出来ます。
これも不思議です。
死んだら人間はどうなるのでしょう?
私の考えでは、霊というか、ガス状態でか判らないけれど、多分、異次元の世界に移動するのではないかと思っています。
もし、私が想像するように異次元があったら・・・この世から肉体を離脱して、違う世界に行くのが怖い気がします。
水たまりを飛び越えるようには行かないだろうと。
だから、すでに異次元に行った人は経験済みだから良いな、と私は思っています。
この世を去る時、誰かが道案内をしてくれたら、良いのですが。
変なところに日記は行ってしまいましたが、ただ、私が思うことは、私が今、存在していることを良しと思ってくれる人がいるであろうことを信じたいです。
明日も、素敵な一日が訪れますように。