今日は天気が良いから久しぶりに大和川の堤防にでも行こうと朝、髭を剃りました。
昼御飯を食べた後、家を出ました。
帰りには業務スーパーに寄って帰ろうとリュックを背負って出かけました。
川の水があふれた時に水が堤防を越さないように、堤防には高い所があり、その下の水面近くにも歩道のような場所があります。
その高い所から低い所に降りるには、鉄の梯子とコンクリートの階段があり、私はその階段の所に座って日向ぼっこをしました。
そして、裸足になって、軽い、軽いストレッチをしました。
でも、身体を動かしていたら腰が痛くなって来たので運動はやめてスーパーに行きました。
スーパーでは牛乳、玉子、鰯の一夜干しなどを買い、腰の痛みをかばって、ゆっくり、ゆっくり、歩いて帰って来ました。
鰯は毎朝、朝食の時に一匹を食べ、牛乳を飲んでいるので、整形外科に行った時の骨密度の検査に関しては、「あなたの骨密度は、若年成年の平均骨密度と比べて同等以上といえます」との評価でした。
骨密度の結果を聞いて私は、努力をした甲斐があったと嬉しかったです。
話は変わりますが、私はいつも思っています。
一人暮らしをしているお年寄りは日々、何を思いながら暮らしているのだろうと。
例えば、私の部屋の両隣の一人住まいのお婆さんの場合は?
左隣のお婆さんは時々、足を引きずりながら買い物に行くのは見かけますが、右隣のお婆さんは部屋から出て行くのを見たことがないです。
両隣とも、来客はほとんどないです。
両隣のお婆さんは散歩はもちろん、運動も全くしていないようです。
一日中、テレビを見ているのでしょうか?
ただ、左隣のお婆さんのトイレの水を流す音だけはよく聞こえます。
私がトイレで用を足している時にお婆さんはよく水を流します。
その点、私は毎日、日記を書いているのでそのネタ探しに苦労をし、日々の自分の行いに反省をし、わずかな向上心を持って生活をしています。
もし、日記を書くのを止めたらどうなるのでしょう。
生き甲斐を失くし喪失感に襲われるのでしょうか?
それとも、解放感に包まれるのでしょうか?
ただ言えることは、一日のメリハリが無くなって無感動に日々を過ごし、夜が来たから眠り、朝が来たから起きるという生活になるかもしれません。
長生きはしたいけれど、どのような心持で生きて行ったら良いのか、今は考えています。
今日の晩御飯は鶏のモモ肉と、白ネギで焼き鶏を作って食べるつもり。
誰か、話し相手でも、また一緒に盃を傾ける友達でも居たら楽しいのでしょうが。
今は、アルコールの買い置きはありませんが。
明日も、楽しい一日が訪れますように。