かけふ日記

70代ゲイが世界の片隅で吠える

木曜日  パンツ一丁で身体測定

 今日の大阪は、天気が最高に良く花は咲き乱れ、「風薫る」と言った表現がぴったりの春の一日でした。

事実、空気が甘く感じられました。

 布団も、洗濯物も完全に乾き、穏やかな一日でした。

         

 今日も昼頃、スーパーに買い物に行きました。

大きいキャベツが1個(税抜)、250円で売っていたので買って来ました。

値段は高いけれど買いました。

 

 今日も昨日の日記の続きで白いパンツの話です。

私が子供頃、学校では身体測定がありました。

皆が講堂に集まりパンツ一丁になって身長や、体重などを測り、地域のお医者さんに聴診器を当てられ胸の音を聞かれていたような記憶が。

 その頃は全員、白いデカパンでした。

凄く懐かしい気がします。

 

 あの頃は座高も測られていました。

でも、座高の長さは健康に関係がないということで、有る時からなくなったそうです。

 

 身体測定で思い出しました、身体検査なるものがあったことを。

毎日か、時々かは忘れたけれど、ハンカチ、チリ紙を持っているか調べられ、爪がちゃんと切られているかを調べられました。

 私には子供や孫がいないので判らないけれど、小学校などでは今でもやっているのでしょうか?

 

 身体検査のことを思い出していたら、小学校、中学校での水泳の時間のことを思い出しました。

小学校の入学から4年の1学期までは田舎の寺領小学校でした。

この時は授業で水泳はなく、川で泳いでいました。

泳ぐと言っても私は潜りが得意で、何故か1回、おぼれたことがあります。

 

 その次(4年の2学期から)は大阪市港区の八幡屋小学校で、ここでも水泳の時間はなかったような気が・・・どうだろう、忘れてしまいました。

 八幡屋小学校では4年、5年は、埋立地にあった分校でした。

 

 その次(6年の2学期から)は大阪市此花区の伝法小学校。

ここでは水泳がありました。

 でも私は常時、水泳の時間は休んでいました。

先生に「休みます」と言えば休ませてくれるので私は一人、校舎の3階の廊下の窓から皆がプールで水しぶきを上げているのを見ていました。

 いつも見ていたけれど、水泳の時間に泳ぎ方を教えていたのでしょうか?

これまた、記憶にないです。

 

 中学校は此花中学で、学校は出来たてで私は第1期生でした。

つまり3年間、先輩はいませんでした。

 

 そして、最初の頃は運動場もなく、体育の時間は元市営住宅だった跡を運動場にすべく瓦礫(がれき)を拾っていました。

そして3年間、プールもなかったので水泳の時間もなかった気がします。

この時は一学年で12クラスありました。

 

 水泳は20代の頃、十三にあった履正社か何かのスイミングスクールに通いました。

大人だけの教室で、男だけだった気がします。

 私は体力がないので25mを泳ぐのがやっとでしたが、泳ぎは綺麗だと人には言われていました。

 

 こうして、色々思い出してみると忘れてしまったことがいっぱいあります。

淡い記憶の中の出来事が本当にあったことかどうか、信じがたい気がします。

 

 これからはボケないで長生きをして、楽しい思い出をいっぱい作って行きたいです。

明日も、素晴らしい春の一日が訪れますように。