今の私は心の激しい高ぶりで、うそ発見器などの針が振り切れた時の状態です。
昨日の自主退院時に於ける衝撃により今日もまだ仕事が手に付かない状態でした。
今日はまだ朝刊に目を通していません。
なぜか? 新聞を読む気になれないからです。
その代わりにしたことはナンプレ(数独)の問題を解くことですが、それ自体も少し飽きて来てしまいました。困ったものです。
洗濯は大好きなので朝一番の仕事としてやりました、心を落ち着かせるために。
病院で着ていた服(ズボンや下着)や、靴(手洗い)も全て洗いました。
今日は天気が良かったので干していて気持ち良かったのですが、厚手の服は完全には乾きませんでした。
今日、日記を書いていて思い出したことがあります。
それは痰を取ると云うことです。
昔は道で痰をはく人がいっぱい居て、それが普通でしたが今はモラルに反すること。
私も痰を出す習慣もなく、病院で痰の提出を求められた時は大いに困りました。
そこで仕方なく病院のベッドに横になり枕元の壁に据えられた痰吸引機から吸引してもらいました。
亡くなった私の相棒(岡ちゃん)もよく吸引をされていましたが凄く苦しそうでした。
そして今回、私も鼻の孔に管を入れられ吸引をされましたが、その痛いことと言ったら他のものに例えようもなく、痛みに堪えるのに涙がポロポロとこぼれてしまいました。
本当、痰の吸引について、もっと痛みのない方法を考えて欲しいもの。
相棒が生前、掛けて寝ていた掛布団のカバーを外し、新しいカバーに替えました。
この掛布団は約55年前から使っているもので、今は綿はガチガチです。
約40年前に飼っていた白い雌猫が外で喧嘩をして帰って来て、布団の上で何度も血を流し、何度も出産をし、何匹もの子猫を生みました。
その都度、猫の血を綿が吸って、綿は硬く固まってしまいました。
雨が降る日、車の下で鳴いていた猫を岡ちゃんが拾って来たのです。
大人しい大家さんだったのでマンションで飼っても文句は言われませんでしたが、柱やタンスは猫が爪を研ぐので目も当てられない状態でした。
その当時、私は毎日のように猫によって汚れたシーツを洗濯したいました。
「新しい布団を買おうよ」と何度も岡ちゃんに言いましたが彼は、綿の切れた重たい布団で毎夜、寝ていました。
今から思えば、もっと強く布団の買い替えを言えば良かったと後悔しています。
今日は何度も病院のことを思い出して腹を立てていました。
なかなか腹の虫が治まりません。
それくらいに私はまだ病院に対して憤(いきどお)っています。
今より、もっともっと心が落ち着き冷静になれたら今回のこと日記に書くつもりです。
Aちゃんは「病院は病院として当たり前のことをしたのと違う」とか、「私はカクカクシカジカの所に隔離をされ、こう云うことをされた、だから帰って来た」と言うとBさんは「でも、でも」と言い暗に、これから何処の病院で結核の治療をするのとか、私の言うことに反論ばかりするので、「ごめん、電話を切るね」と言って、電話を切ってしまいました。
(注)西成での結核患者は日本一で、病院は西成にあります。
Bさん、ごめんなさいね。また、落ち着いたら私の方から電話をします。
でも皆さん、考えてみて下さい。
年金生活者で家とスーパーの行き来しかしていない人間が、どうして結核になるのでしょう?
友達も少なく、無駄話をする相手もいないのに。
思い出したら又、腸(はらわた)が煮えくり返って来たので今日の日記は終わりとします。
早く世界中から戦が無くなり、静で平和な世が訪れますように。