かけふ日記

70代ゲイが世界の片隅で吠える

水曜日

 私は一人ぼっちで且つ、暇なので絶えずベランダに出ています。

大雨が降っていない限り。

鉢に植えた茄子や、ゴーヤを見たり、また、下を行く人達を見ています。

 朝一番(6時頃)で外を見ると、腰が曲がった小柄なお爺さんがヨレヨレのレジ袋を持って、落ちているゴミを拾いながら歩いています。

そうそう大きなゴミは落ちてはいませんが、煙草の吸い殻のような小さな物など見つけると拾ってレジ袋に入れています。

曲った腰に片手を乗せて、広い団地の敷地内をゆっくり、ゆっくりと、スリ足で移動しています。

でも、ちょっとよそ見をしていると、お爺さんの姿は見えなくなってしまいます。

幼児と一緒で歩みが遅いと思いがちですが その実、短時間で結構な距離を歩いているようです。

散歩を兼ねたゴミ拾いでしょうが、天気の良い日は毎朝、しているようです。

 私が住んでいる団地では、団地の掃除にシルバー人材派遣センターの男性3人が掃除に来ています。 

だから、お爺さんがゴミ拾いをしてもしなくても大きな影響はありません。

でも、続けているお爺さんは偉いなと思いながら毎日、見てます。

このお爺さんならきっと、安らかな死を迎え、天国に行けることでしょう。

見習いたいものです。

 

 NHKEテレでは、週1で宗教の時間があります。

心の安らぎが得られるのではないかと時々、見ていますが各宗教(あらゆる宗教)の門外漢である私には、聞いていてもほとんど話が理解が出来ないです。

この間は、「歎異抄」についての話(2話目)を放映していたので見ましたが、まるで外国語を聞いているように話が理解できませんでした。

般若心経にしても、しかりです。

宗教用語が理解できないのです。 そう、パソコン用語と同じようにです。

せめて、そういう宗教的雰囲気だけにでも触れようとテレビを見ている状態です。

人間、一つの殻を乗り越えて、次の域に入るって大変なことです。

でも、なにか目に見えない聖域に入ることが出来たら良いですね。

 

 あー、今の自分を、あらゆる面で乗り越えられたら良いなー。

明日も、光り輝く希望にあふれた一日が訪れますように。