今日の朝刊で行くと午前、午後、はニコニコお日様マーク。
夜は曇りのマーク。
洗濯物を室内干ししてから4日目で、やっと外に干せるので万々歳。
日が差し始めてから布団も、ボア毛布も、枕も干しました。
そして、朝風呂に入り、取り合えず、タオルと、パンツを手洗いして干しました。
汚れままのパンツやタオルを洗濯カゴに入れたままにして置くのは恥ずかしいので。
私が40、50代の頃は年中、半袖丸首で白いTシャツようなアンダーシャツを着ていました。
ある冬の日、銭湯で、「半袖で寒くないか?」とお年寄りに聞かれると、「寒くないです」と答えていました。
この団地に越して来た頃の冬の室温は12度で、何て温かいのだろうと思っていました。
しかし、5年経った今は室温が17度でも、寒く(底冷え)感じる時があります。
外はもっと、もっと寒いのに子供達が半袖で走り回っています。
歳が行くって、こう云うことなのでしょうね。
無駄な抵抗(悪あがき)はよそうと思う日々です。
話は変わります。
でんべぇさん、コメントありがとうございました。
でんべぇさんが言う、「おっさんみたいな子」ですが私は彼の事、心配しています。
小2の男の子が一人、スーパー銭湯でウロウロしていて性被害にあったりしないかと。
「僕、僕、ここにおいで」と誘われて湯船の中でオチンチンでも触られていないかと。
私が30才になる前にヘルパーとして働いていた「スナック誠」に、くらげさんと云うお客さんがいました。
私より40くらい年上の可愛らしいお爺さんでした。
彼が小さい頃、信心深いお母さんに頼まれて、季節季節の手料理をお寺の和尚さんに届けに行っていました。
例えば、おはぎとか。
でも、お母さんは全く気が付きませんでした。
手料理と一緒に・・・自分の息子もお坊さんに食べられていることを。
幼かった息子も立派に成長をし、立派なゲイになりました。
そして昔、梅田の半地下にあった梅田サウナの水風呂で男のPをくわえていたのです。
そのせいで彼は皆から「くらげさん」と呼ばれていました。
くらげさんの場合は自分でも納得してゲイをしていたので大いに幸せな人生だったことでしょう。
多分もう、他界されていると思います。
正直言って、私がゲイデビューした頃の大阪は本当に楽しかったです。
梅田サウナは、普通のサウナなのにゲイの人達が人目も気にせずPをくわえ合っていました。
低料金で昼間から満杯でした。
今は今の良さがあるでしょうが、昔は、昔の良さがありました。
昔のことが楽しく思い出されます。
一日、一日が思い出づくりです。
明日も、こころ癒される優しい一日が訪れますように。